働くピアニスト・抗がん剤との闘い記録

働きながら、ピアノを弾きながら、抗がん剤に挑戦中

話題の「オプジーボ」について

オプジーボというガンのお薬が、今回の本庶さんのノーベル賞で一気に話題になりました。とても喜ばしいニュースです。これをきっかけに、広く認知されるようになれば嬉しいです。
私は治験に参加して、今オプジーボを使ってもらっています。とても高価な薬なので、治験に参加できることはほんとに有難いことです。

オプジーボは「免疫療法」という、従来の抗がん剤とはちょっと違うメカニズムでガンと闘うタイプの薬です。
人間の体内のリンパ球上には「PD-1」というたんぱく質があり、これがガン細胞の表面にある「PD-L」というたんぱく質と結合すると、リンパ球の働きが悪くなります。それにより、免疫機能が低下して、リンパ球がガン細胞を攻撃できない状況に陥ります。
オプジーボ(一般名:ニボルマブ)はこの「PD-1」と結合して、「PD-1」がガン細胞の「PD-L」と結合できないようにすることにより、免疫機能の低下を防ぐ作用があるとのことです。

小野薬品さんの製品です。現在この薬を使うことができるのは、以下のものです。
悪性黒色腫
・切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌
・根治切除不能又は転移性の腎細胞癌
・再発又は難治性の古典的ホジキンリンパ腫
・再発又は遠隔転移を有する頭頸部癌
・がん化学療法後に増悪した治癒切除不能な進行・再発の胃癌
・がん化学療法後に増悪した切除不能な進行・再発の悪性胸膜中皮腫

出典:小野薬品工業株式会社 オプジーボ製品基本情報
https://www.ononavi1717.jp/drug_info/opdivo/basic_info/

ちなみに私は、「HER2陰性+転移性乳がん抗がん剤未経験」の従来の抗がん剤との併用の第Ⅱ相試験、という治験に参加しています。乳がんへの承認の日は近づいているってことかな?と思います。

広い意味では、着々と開発や承認が進むことは大事なことだと思いますが、我々患者にとっては「いつ」承認されるのかが重大で、命にかかわります。今回のことで命拾いをすることになる人が、ひとりでも増えることを祈っています。

手のシビレとピアノ


3クールが終わり、1週休みの間、とうとう手のシビレが来ました。正確にいうと、シビレというより動きづらさです。
足はとっくにシビレていて、歩きづらくなっていましたが、ピアノに支障はないのでガマンしていました。手は急に来ました。普段の生活でもそういえば、少しパソコンのキーが叩きづらかったり、字が書きづらかったりしてきました。ただ、「日常生活に著しく支障がある」までは行っていない程度です。

ある日ピアノが全然弾けなくなりました。特に右手です。指が動かないのです。ただし、弾いているうちに温まってきたからか、少し動くようになりました。
ふと思い立ってピアノの椅子を低くしてみたら、もっと動くようになりました。弾きながら、身体のあちこちを意識してみたら、指ではなくて腕や背中が動きづらいのではないかと思いました。

パソコンとピアノは見た感じ「指を動かす」点では同じような動きに見えますが、全然違う運動なんだなと分かりました。その証拠に、指を細かく動かす早いパッセージを弾くときは意外と動くのですが、音のニュアンスを変えようと思ったり、何か表現しようとすると、うまくいきません。また、身体に力が入って指先だけで無理に弾こうとすると、動かなくなります。
これはある意味、自分の演奏中の身体の動きの観察や見直しの役に立つ状況ではないかと思いました。指先の感覚を大事にするフレーズは弾けるけど、身体を使って表現すべきフレーズは、ちゃんと身体を使わないと弾けないので、まるで自然の「強制訓練機」をつけているような感覚です。

・指先だけの動きは意外と問題なく動く

・腕や背中をきちんと使えば、指も動く

・人と一緒にアンサンブルすると、なぜかだんだん動くようになる

ということが分かりました。特に最後の「アンサンブル」は不思議なのですが、人間は身体だけで動いているのではなく、気持ちで動いている部分もあるということかな、と思います。やはり病と闘うには「心」「頭」「身体」がすべて関係しているようです。

 

なお、シビレの原因となっていたパクリタキセルという抗がん剤は、3クールで終了にしました。もう使いません。早めに中止にしたので、きっと感覚は戻ってくれると信じています。なぜパクリタキセルを使うと末梢神経に影響が出るのか、因果関係が分かっていないため、治療法や症状の変化の予測はできないし、個人差もあるそう。でも自分は治る!と信じています。温めたり動かしたりすることが改善につながるとしたら、ピアノを弾いていればまた、ちゃんとピアノが弾けるように戻れると思っています。まったく心配はしていません。

友達への告知について

またまた間が空いてしまいました。昨日、3クール目が始まりました。日を追うごとに、身体が薬に慣れる部分(身体が楽になる部分)と、薬が蓄積されていく部分(重くなる症状)があるように感じます。
たとえば私の場合、倦怠感や発熱は、1クール目が一番多く、今はほとんど出ません。だるくて1日寝ている、ということはまったくなくなりました。その代わり、足のしびれは少し悪化してきました。まだ歩けないほどではないけれど、しびれの範囲が広くなり、しびれ自体も強くなってきたような気がします。ただし、「手」は今のところ何ともありません!

私は友達や知人にはほぼ病気のことをオープンにしています。もともと隠し事が苦手なのも理由の一つですが、母の最期のときのある経験があったからです。

母は今から15年前に亡くなりました。そのだいぶ前から病気になっていて、亡くなる前年、まさかの私の病気の告知の日(私の告知は午前中だった)、まったく同じ日の夕方に「あと半年くらいです」という告知をされました。今考えると、父と弟が気の毒です。
母は病院が嫌いで、抗がん剤も途中で止めてしまっていました。1年くらい咳がひどかったのに病院に行かず、どうにもならなくなって病院へ行ったときはもう手遅れでした。

普段から親しくしていた一部の母の友人たちには状況を話していて、その方たちは頻繁にお見舞いに来てくださっていました。特に忘れられない(忘れてはいけない)のは、Tさんという方です。
Tさんは近所の方で、元看護師さんでした。本当に天使のように心の優しい人で、文字通り毎日病院に来てくれました。お見舞いというより、ずっとそばにいて、脊椎転移のために麻痺してしまった母の足をずっとマッサージしてくれたり、慣れない研修医の先生に一言いってくれたり、楽しそうに母に話をしてくれたり、あらゆることをしてくれました。

そして、母の別の友人にAさんという人がいました。Aさんは大学の同級生です。母は絵描きで美大出身で、Aさんとは美大時代の友達でした。長い人生、一緒に展覧会をやったり、大人になってからもお互い刺激し合って勉強したりと、普通の「大学の同級生」より濃い関係だったと思います。
母はかたくなに、学生時代の友達には「知らせないでほしい」「会いたくない」と家族に言っていました。元気で活躍していた頃を知っているから、今の姿を見せたくなかったのだと思います。Aさんには「病気が悪化して、あまり良くない」ということは伝えてありましたが、やっと会ってもいいと母が言ったのは、亡くなる数日前でした。
Aさんは地方から上京してくださって、母に会ってくれました。そのときの様子が今も忘れられません。驚き、取り乱し、号泣していました。母の意志に反してでも、もっと早く知らせればよかった、と思いました。

Tさんはいまだに母のことを1日たりとも思い出さない日はないとおっしゃっていて、命日には必ず母の大好きだった「ミモザ」を持ってきてくださいます。母が亡くなり何年も経って、初めて私のコンサートを聴きに来てくれたとき、コンサートの間中ずっと泣いていました。「Kさん(母)にも聴かせたかった」と思ったそうでした。でも、母のことを話してくれるとき、Tさんは笑顔で晴れやかな懐かしむような表情です。


TさんやAさんを見ていると、人が亡くなるとき、家族が一番悲しむというのはある意味真実だけど、「友達」が亡くなるというのはまた違った辛さがあるのだなと感じます。私にとって母が亡くなることは、順番どおりのことなので、もちろんとても悲しいことではあったけど、「仕方がない」という思いがありました。
一方の「友達」というのは、年が同じだったり近かったり、ある意味「自分」を投影する対象でもあり、その「死」からは「自分と死」ということを考えさせられるのではないでしょうか。そういう意味で、家族の死よりもっとリアルに死を感じる体験なのかもしれません。

最近、ある有名人の方が亡くなって、そのお友達のコメントをネットで見かけました。「いつも前向きなメールをくれてたから、またきっと元気に復活してくれると信じていました。突然の訃報にショックを受けています」といった内容でした。このコメントは、まさに、病気の詳細を知らなかったAさんの気持ちを表していると思いました。


どこまでの関係の人にオープンにするかは、人それぞれだと思います。でも私は、自分の友達にこんな思いをさせたくないです。私はまだまだ生きる所存(笑)ですが、進行している治らない病気にかかっていて、皆よりは早めにいなくなるかもしれない、ということを知らせておきたいです。
そんなわけで、自分の病気のことは大事な人たちに知っておいてもらいたいと思って、ほぼオープンにしている次第です。

副作用ってどんな感じか

ブログ、しばらく空いてしまいました。7月初めから抗がん剤を始めました。週1回×3回+1週休み=1クール、というサイクルで、現在は1クール目の1週休みに入ったところです。

抗がん剤を始める前は、経験者の方に「どんな感じなの?」と訊いても「人による」とか「いろいろ」と、漠然とした情報しか得られませんでした。自分が体験したら文章にしてみようと思っておりました。

そして1クール終わった感想。まず、想像していた感じとはだいぶ違います。専門的なことは曖昧にしか把握していないのですが、抗がん剤は「ガン細胞」を攻撃するとともに、正常な細胞をも同じく攻撃してしまいます。だから、どの正常細胞に症状が現れるか予測できず、「人による」だったり「いろいろ」だったりします。
その人の弱いところに出る、といった感じでしょうか。つまり、もともと胃腸が弱い人は便秘や下痢になるかもしれないし、皮膚が弱い人は湿疹が出たり口内炎になったりするかもしれません。そして免疫力が下がるので、傷や風邪などの体調不良が治りづらくなります。
私の印象を一言で言うと、「今まで自動だったのが手動になった」です。今までは、少々不具合があっても、身体の方で適当に良きに計らってくれていたのが、全部いちいち症状が出る感じがします。ちょっと無理をすると熱を出すし、蚊に刺されて放っておいても治らない、とか。その都度対症療法でなんとかしていかないといけません。

私はこう思いました。対症療法で後手後手で対応するのはいやだから、抗がん剤を投与したら即刻「デトックス」すればいいんじゃないか、と。ただ、ガンを攻撃しようとする分までデトックスされたらイヤなので、とりあえず「抗がん剤の翌日」からデトックスを心がけるようにしました。具体的には、お風呂に何度も入る、運動をする、マッサージに行く、水分をたくさん摂る、といったことです。
これがうまく作用したせいかは分かりませんが、私の副作用はかなり軽い方だと思います。

まず1週目。抗がん剤当日は「ちょっとだるいかな」程度でした。2日目、炎天下に外出(外を相当歩いたし)したせいか、倦怠感がひどくなって少し横になるはめになりました。3日目、音楽仲間とアンサンブルの練習(結構真剣なやつ)をしたせいか、その後ダウン、発熱。4~6日目は倦怠感はなかったですが、全身筋肉痛が出ました。

そして2週目。1週目で「無理をしたら発熱する」と学んだため、無理をしないようにソロリソロリと生活したところ、発熱することはありませんでした。ただし、全体的に食欲が落ち、体温が35度台をウロウロしていました。

3週目。倦怠感や発熱といった体調不良はほとんどありませんでしたが、恐れていた足のしびれと、少し味覚障害(塩を強く感じる)、少し手に湿疹が出ました。そして、脱毛が始まりました。
この週は、アンサンブルの大きな本番(2時間弾き続ける)があったのですが、特に問題なくこなすことができました(出来はともかく。。)。

そして4週目(休みの週)。足のしびれ以外の副作用はほぼなし。ときどき疲れて横になることはあります(数日に1回程度)が、あとは健康な人と同じです。

1週目が一番キツかったです。それ以降は、自分でも慎重になったことと、おそらく薬に体が慣れたせいで、だんだんラクになりました。もちろん、2クール、3クールと回を重ねるごとに、抗がん剤が体の中に蓄積されていく分もあるので、今後どうなるか分かりません。でも、思っていたより自分で対処できるし、受け入れていけるのが分かりました。
また、どういう副作用がその人にとって辛いか、というのも人によって違うので、「出てほしくない副作用が出るかどうか」も大事なポイントだと思いました。私は毎日詳細に体調・副作用・食事内容などを記録しているのですが、「脱毛」をほとんど辛く感じていないあまり、書き記すのを今日まで忘れていたほどです。私にとって一番恐れているのは「手のしびれ」なのですが、幸いなことに今のところ手は無事です。

 

はじめまして

はじめまして。乳がんステージⅣですが、フルで仕事しつつピアノの活動もしています。

乳がん発病から16年経ちます。早いものです。再発・転移が分かってから、ホルモン療法という、比較的副作用の少ない治療で、幸いにも今までなんとかやってこられました。

ホルモン療法というのは、何種類もあるホルモン剤を1つずつ使っていくのですが、何年か使うと、薬に対する「耐性」ができてしまいます。つまり、身体が薬に慣れて、効かなくなってしまうのです。そうなると、別の薬に切り替えます。

切り替えのたびに「次はもう抗がん剤」と言われつづけ、逃げ続けてきました。乳がんの薬はとても進んでいて、次々と新しく開発されるようです。おかげで、「もう他のホルモン剤はない」と言われても、新しいのが出てきたり、前に効かなくなったはずのものがなぜかまた効いたりと、ラッキーが続いてきました。

しかしいよいよ今年の7月から、抗がん剤に切り替えることになりました。決まってからの2週間は、ジタバタと人生の終わりのような気持ちで絶望したり、どうにか逃げる方法はないものかと無駄なネットサーフィンをしたりしました。

というのは、私がまず投薬されることになったパクリタキセルというお薬は、「手足のシビレ」という副作用が発現しやすいことを知ったからでした。

私はピアノを弾くので、手足がしびれたら非常に困ります。私にとっての人生の目的は「生き延びる」ことではありません。最優先事項は「愛犬より先に死なないこと」ですが、その次は、「ピアノを弾くこと、それも一人ではなく、室内楽という仲間との共演の形で」です。

他のお薬という選択肢もありましたが、このお薬との組み合わせで未承認の薬の治験に参加できる、という事情もあって、パクリタキセルを使うことにしました。

実は私は「ガン」自体にそれほど恐怖を抱いていません。これはとても不思議なのですが、発病した当時からそうでした。手術を担当してくださった先生が「むしろ平然としすぎていて心配」とおっしゃっていたほどです。今でも、かなりあちこちに転移しているのに、ガンで死ぬ気がまったくしません。

私のガンは比較的穏やかに進行してくれているようです。しかも、大事な臓器は侵さずに、そっとしておいてくれています。このまま共存していけたらいいなと思っています。

だから私の闘いは「ガン」との闘いというより、「抗がん剤」との闘いです。抗がん剤の副作用、特に「手足のシビレ」との闘いです。そのために、嘘か本当か分からない「予防策」や「対処」を片っ端から試します。

私の抗がん剤との闘いの記録、そして無事にピアノを続けられるのか? そんな内容のブログになると思います。同じように闘病中の方の参考になるようなことも書いていけたらと思っています。